享年と行年
広辞苑から・・
きょう‐ねん【享年】‥(天から享(う)けた年の意) 死んだ者がこの世に生きていた年数。死んだ時の年齢。
ぎょう‐ねん【行年】‥この世に生れてから経過した年数。特に、死んだ時の年齢。
何やらはっきりしませんね。ともに共通するのは「死んだ時の年齢」と云うことです。
最近では満年齢を云うことが日常ですが、暦を見たりや運勢を占うときなどたまに数え年を気にすることもあります。昔は数え年が日常で、正月元旦を節目に、誰もがいっせいにひとつ歳を取りました。あまり誕生日などは気にしなかったようです。バースディーパーティーなどの風習は西洋のもの。明治以後のいわば上流階級の行いで、庶民とは無縁のものでした。
さて、先日、次のような質問がありました。
来年、父の回忌の法要にあわせ、墓石を建立する予定です。先日、法名塔に彫り込む文字のことで、調べていたところ、亡くなった者の年齢についてわからないことが生じましたので、お尋ねする次第です。享年と行年は同じ意味でしょうか?その場合、実際の歳(満年齢)に一を加えた数を位牌等に記入するのでしょうか?
これに対しての答えは・・
「享年」と「行年」は同じ意味で、これまで亡くなった時の数え年で表してきました。たとえば昭和二十年三月四日に生まれ、平成十四年二月三日で亡くなったとしますと、この人は満で数えると満で五十六歳十一カ月ですが、数えでは五十八歳となります。でもこれは菩提寺ご住職などの過去帳記載に合わせてその指示をお伺いすると良いでしょう。
現在では、宗派にかかわらず満年齢で記すことも多くなっています。けれども享年・行年と同じ意味で二つの言葉があるのは、厳密に考えれば不思議です。
そこでもう一度、広辞苑を正確に読んでみると、享年は「天から授かった・・」と云う意。また、「・・この世に生きた」としてあります。
これに対して行年は単に「この世に生まれた・・」とあります。この微妙な言い回しの意図していることは、難しいことではありません。
私たちの「この世」への出現を出産で捉えるか、または胎内での育成も含めるかと云うことです。ですから、享年は胎内での時間経過を含め、出産時には既に一歳として生まれてくるという意味合いがあり、これが数え年の元になっているわけです。そうなると行年は満年齢を示すのかと言えば、辞典にあるようにともに「死んだ時の年齢」と云うことで、現在日常的に使用している満年齢を享年にも宛てることが一般的のようです。
結局、私見ではありますが、せっかくこのような日本の文化がある訳ですから、あえて伝統的な習俗を感じてみてはどうか、と云うご返答をしました。
習俗的な「生の認知」は、妊娠後どのくらいで、いわゆる「魂が宿る」かを定め、それはおおよそ妊娠後三ヶ月くらいを基準にしていたようです。そしてそれは現在のお産に関する法的処置の根拠にもつながっているような気がします。