通夜振る舞い
通夜の弔問者に対して、葬家は慰労の席を設けます。お淨めの席とか、その宴席の名称は地方によっても様々です。
一般的には、不特定の弔問者全員に、お焼香を済ませてもらった後にご案内します。東京の下町では、かっては町内会の婦人部といわれる人たちの独壇場でした。ベテランの役員さんになると、喪主よりもその家のことがわかっていて、適切な数量や献立、また配膳お手伝いの人数なども適切に判断します。隣接して料理屋さんなどがあれば、そこを貸切にして利用することもありますが、そんなにうまくいくことばかりではありません。
その時代ではおおよそ自宅葬が一般的でしたので、その家の空いている部屋を利用したりしますが、なんせ東京の住宅事情ではスペースに余裕がありません。そこで多くは路上にイベント用のテントを張って、そこにテーブルを並べることが通例でした。そのテントには、伝統的な町会名が記されていたものです。
ときには公道上、車両を通行止めにして(暗黙に)そこでお淨めをしていました。
メニューはだいたい3品くらいで、まず一番大量に煮しめが作られます。この味が「勝負」で、近隣の町内会同士で互いに批評し合って鍛えられてきましたので相当な美味といってそれぞれが自慢の種にしています。里いもやニンジン、シイタケに季節の彩りを寄せて三日三晩いただけます。葬家も自家で炊事しなくてもこの振る舞い料理で通夜葬儀の食事をしのいでいきます。
そのほかに海苔巻や生寿司もありますが、これは出前で賄います。当時は刺身などの生ものはご法度という町内会もありましたが、これは精進という慣習からでしょう。
また、総菜屋さんへ買い出しに行くこともありました。焼き鳥や空揚げなどもつまみやすい振る舞い料理でした。お酒はだいたい近所の酒屋さんから直に買って、特に日本酒などは一合の瓶入りなどを湯煎して燗つけをしていました。
一般の弔問客が帰ると、後は顔見知りの町内の人々が大団円で、まるでお祭りのあとの直会(なおらい)のようになります。お手伝いの婦人部、奥様方も、割烹着姿のまま、労をねぎらわれて、大っぴらにお酒を飲める場でもありました。
この通夜の賑わいこそが「供養」いう感覚がありました。まさに、通夜振る舞い。振るは振りまくという意味で、舞うは字のごとく踊るということです。最初はしめやかだった通夜の席も次第に盛り上がり、遅くまで続けられました。季節によっては暑さ寒さの厳しい時もありましたが、この席に立ち寄らないで帰選ろうとすると、
「ご供養だからひと箸だけでもつけていきなさい」といわれたものです。