友引にお葬式はしない
暦の中の六曜はご存知ですか。
太陰太陽暦で、日の吉凶を定める基準となる六つの日のことです。先勝(せんしよう)・友引(ともびき)・先負(せんぶ)・仏滅(ぶつめつ)・大安(たいあん)・赤口(しやつこう)の六つをそれぞれ、日にちごとにあてはめたものです。
記録によると室町時代ぐらいから広まったと云われていますが個人的な卜占ではなく、世の中の総体的な日の吉凶で、旧暦では正月と七月の一日は必ず「先勝」。二月と八月の一日は「友引」。同じく三月・九月は「先負」、四月・十月は「仏滅」、五月・十一月は「大安」、そうして六月と十二月の一日は「赤口」と定められています。
このため定期的な間隔ではなくなります。
葬儀ではいまだに気を付けているのが「友引」へのこだわりです。理由は単純です。
友を引く(親しい人を巻き込む)という「言霊」(ことだま)信仰です。
実務的にはその日火葬場が休業するので、葬儀後に荼毘に伏せない、したがってその日はお葬式をしないという慣例になったものでしょう。そうなると前日の通夜もないわけですから、友引の前の日は、お葬式はあっても通夜ができない日になり、これは葬儀社にとっても不定期な葬儀依頼の中、唯一その日の夜は「何もない」時間を持てることになります。
業界向けのカレンダーなどは、日曜日よりもこの友引の日に囲みや印がつけられて、一般の暦とは異なるデザインとなっています。またそこで働く人にとっては、その友引の前の日こそ、確実に通夜のない日=翌日は式もないとして休日が意識できる日取りでもあります。符牒ですが「びきまえ」などという言葉が聞こえたら、これは葬祭関係者ですね。
火葬場の多くは公営で、行政や地元組合組織などで運営されています。そこでは「役所」が民間伝承的な暦の吉凶に左右されるのは、非合理であるとして、友引きにも火葬やっているところもありますが、葬式を出す側としてもやはりこだわりがありますので、友引にはお葬式をしないところがいまだに多く見受けられます。
これは庶民文化の豊かさだと信じています。日の吉凶はともかく、言葉としてのイメージも含めて、そこに意味を持たせ畏怖を思い起こさせるなどは「感性」の賜物だと思います。相当豊かな心持がそこにあると信じます。世の中のもろもろをすべて科学的、合理性で割り切って行くことは決して進歩ではないでしょう。むしろ意味のないことかも知れませんが、この六曜みたいなことにこだわっている社会や人々が、その文化を紡いでいく余裕こそ大切にしていきたいものです。意味のないものとして切り捨てるばかりが理性的な生き方だとは思いません。お葬式はまさにそのようなしきたりや慣例の塊であり、そこには「もの言わぬ庶民の生活哲学」があるということを再認しましょう。