「魂」への想い
これまで組内など地元の助力で行われてきたお葬式が、今ではその一切を葬儀社に委ねています。祭壇規模や会葬者数への対応など、いわゆる世間体を重んじ、滞りのない施行がそこでは喧伝されてきました。とは言うものの現在に至ってお葬式の規模は縮小傾向で、出来れば内々で営みたい、という潜在的な要望も高まっています。それは『家族葬』という言葉に置き換えられて都市部を中心に実際に施行されるようになりました。この現況から今あらためてお葬式の意義が問われ、同時に私たちの感性も問われはじめました。「私は火葬だけでいいから・・お葬式は無用。」という人まで現れ、そこには感性の欠如を感じます。
お葬式というのは「葬儀・告別式」の略語と考えます。「葬儀」は、故人の魂や遺体に対する慣習的な霊的行為。読経などのいわゆる宗教儀礼と納棺・火葬などの実務的な葬送儀礼。一方「告別式」は遺族を主催者とした人的・社会的な配慮で、関係者に対する感謝や故人の功績・顕彰などの「式典」の要素が表出されています。この二つのまったく異なる行いが、いつのまにか同義語化して、その結果お葬式全体の価値が見失われ、形骸化では多大な浪費を感じさせます。『家族葬』を希求する人の中には「葬儀」だけを執り行い、あえて「告別式」は辞退したいとする考え方もあるようです。そのときこそ「葬儀」に内在する「魂」への想いを感性として感じる豊かさが求められます。