Column

葬祭コラム

水子供養

水子の供養の起源には、いろいろな地域伝承がある。古くは「日本霊異記」(平安時代初期)などにもあらわされているが、珍説もある。
昭和46年に新設建立された寺院(埼玉県秩父、地蔵寺)のキャンペーンが「水子供養」の言葉の浸透と全国的な信仰ブームを引き起こしたといわれる。
戦後の混乱期には、いろいろな事情から中絶を余儀なくされた女性も多いと聞く。その後、20年前後、落ち着いた年齢に達し、しみじみその時代の悔恨とまた年齢から来る更年期の体調不順を「堕胎のせい」として思い込む女性もいたらしい。それを多くの週刊誌が興味本位に取り上げた。そこから水子供養ブームが巻き起こったというもの。
中世、近世においては、本来子供の生存率の低かった時代である。その胎児死亡に際して、特に専有した供養はなされなかった。近代に入りいろいろな生命観を享受するようになって、あらためて日本人的な霊魂観とリンクしたものではないか。そこで時代のブームとなり、今では多くの寺院に水子地蔵や水子観音が配置して祀られている。この「軽率」で「単純」な感性こそ、日本人の「信仰」という一面であろう。この特異性は称賛すべきだと思う。