Column

葬祭コラム

言祝ぎ(ことほぎ)と言霊(ことだま)

年明けから節分くらいまでは、何かと「更新のための儀礼」が多い。春を待ちわびる行事として生活の中で楽しんでいる。
鏡開きでの「歯固め」(硬いものをかじって成長を促す)や豆まきの豆を食べること、また東大寺二月堂の「お水り」で火の粉を浴びること・・・無病息災の祈願や記念である。
新春に際しての儀礼には「予祝」と意図が多く見られる。字面から祝い事の予感などを連想させるが、その年の農事の占いや豊作を祈願の農耕神事である。
東京でも、まったく農業とは関係のないところでも行われている。たとえば板橋区徳丸の北野神社では旧正月の夜に、いろいろな言葉を唱えながら、種まきから収穫に至る稲作の作業を大げさな所作で再現して奉納するなどの慣習があり、これを「田遊び」と云い東京都の無形文化財になっている。
一見、五穀豊穣祈願ですが、「予祝」はもともと秘事として行われて、「言葉」を唱える言祝ぎ(寿ぎとも書く)で、言葉によって神威を動かしていく「言霊信仰」が原理である。言霊とは、発せられた言葉に強い霊性があり、声に出して語られるということが、すなわち「現実のものになる」というような、日本人特有の深層的な感覚といってよい。
目出度い言葉を口にすれば、いいことがあり、逆に不安な言葉は、そのような不幸が起こるというようないわゆる「忌み言葉」もこのような中で言い伝えられてきた。
祝い事での言祝ぎは、伝統芸能化していることも多く、三河萬歳や春駒(門付け芸の一種。正月に各戸を回り、馬の首の形をしたものを持ったり、跨ったりして歌い踊るもので、新潟県佐渡地方や山梨県甲州市に伝承されている。)あるいは獅子舞などもそれにあたる。
また「忌み言葉」もいまでも多くの人が気にしている。このように言葉で意識が強く反映され、きわめて不謹慎になってしまうことが弔事には多い。葬式の場面などでも十分注意しなければならない。
「正月は冥土の旅の一里塚・・」と名句を残し、目出度い場面に水を差すような一休禅師ではあるが、同時に言葉だけのに浮かれていてはいけない教訓を喝破している。
まだまだ世間的に「縁起でもない」という言葉の元に、できればそれを避けて通りたいという、はかない願望がみえる。