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葬祭コラム

エンバーミングの事例

 聞きなれない言葉かもしれませんが、簡単にいうと「エンバーミング」とは、ご遺体を衛生的に保全する処置のことです。日本では「遺体衛生保全」というふうに訳されています。遺体は死後、その経過時間により刻々と変化します。もちろん死因にもよりますが、死後変化の大きな要因は腐敗に向かうということです。ですからその防腐処置ということが、技術上の術になります。

 なぜ、そのまま朽ち果てさせないようにするか、という意図にはいろいろな要因がありますが、大きく言えば宗教上の理由も考えられます。なるべく遺体形状を損なわないで安らかな「眠り」につくことは、宗教によっては大きな課題となるはずです。ご存知のように、火葬することを「重罰」とする宗教もありますから、遺体というものが宗教上の大きな遺物であることは理解できます。

 また、戦争などで名誉の戦死した兵士は、英雄でもありその亡骸は出来るだけ丁重に、尚且つ、腐敗を防止したうえで遺族のもとに送り届けなければなりません。それには死後からの日数が、時には数か月もかかる場合があります。冷蔵設備による運搬や保存がまだまだ幹部していない時代においては、薬品処置や生理的な処置で対応していたわけで、そのようなエンバーミングの必要事例が、このような遺体処置の「技術」を発展させたと云われています。

 古くは、かのレオナルド・ダ・ヴィンチもエンバーミングの研究をしたといわれています。15世紀、天才ダ・ヴィンチは数多くの人体解剖を経て、その結果遺体の保存という試みにも取り組みました。血管に調合した溶液を注入する方法で、現在のエンバーミング処置の基本的な手法をはじめ、その防腐保存液の研究を行いました。

 この基礎的な研究成果から、遺体保存が西洋では盛んになり試行錯誤が始まったと云われています。
時を経てそれが普及するのは新大陸アメリカでの南北戦争であると、通説では語られています。リンカーン大統領の時代、特別な医療業務として戦死者への対応が急増しました。そうして医師だけではなく、専任のエンバーミング技術者として、「エンバーマー」という職業が生まれました。これが広くエンバーミングを普及させるきっかけとなったといってよいでしょう。
その後、各国の指導者など、特に独裁の強い為政者らは、自らの死後もその思想崇拝の対象となりました。
有名な事例では、レーニン、毛沢東、ホー・チ・ミン、金日成、金正日などです。