余命宣告からの遺書や遺言
もし余命宣告されたときあなたは「遺言」を書きますか?たいへん厳しい質問ですが高齢社会では、このような「覚悟」も必要です。
遺言というと法的な対応ということになり、行政書士などの専門家を頼むこともあります。遺言の種類には、自分自身で書く自筆遺言というのもあります。
余命宣告に際してもちろん実務的な対応は必要なことですが、その前に手紙を書く人もいます。伝えおきたいことや、書き残しておきたいことなどを思うままに書く人もいます。
昔は「辞世」といって、末期に一句、歌を詠むような風情もあります。死を前にしてこの世に残された特に詩的な短文ですね。和歌や俳句、または漢詩などもあります。
忠臣蔵の大石内蔵助は
「あら楽や 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
宿敵、吉良の首を打ち取って思いを遂げた達成感を伝えました。すみきった心情がわかりやすく伝わってきます。また幕末の思想家、吉田松陰は安政の大獄で刑死しましたが、弟子や家族にそれぞれ辞世の句を残しました。
家族あてには
「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」
素直に親心の情愛の深さが表れています。
日本人の死の美学として、こんな風に文学的な言葉として遺しています。
私たちにはこのような素養は人によって違いますので、やはり手紙をしたためるのがよいでしょう。
現代では、家族に対しての感謝の言葉を綴るひとも多くいます。楽しかった思い出や、苦しかったことなど、自分自身の人生で印象に残ったことを述べておくことになります。
よく芸能人などで、生前に映像や音声でメッセージを遺す人がいますが、本当に元気な時のものであれば、葬儀などでも過去の活躍の思い出を共有できますが、一番悲しいのは、
余命宣告されたあと、また病状が悪化したりしたときの映像や弱々しい音声メッセージなどは、その死に際してより悲惨さを倍加させると思います。特に有名な芸能人になればなるほど、まさにスター。輝かしいその時の印象は壊したくないものです。
これまでもキャンディーズのスーちゃんや島倉千代子の病状の歌など、ただただ辛くなるだけでした。このように余命宣告が一般的になっている時代では、与えられた時間の中で、遺された人たちが、自分の死によって争うようなことがないようにしておきたいものです。